1. 【落とし穴1：医薬品】
「医師なのに薬が買えない」仕入れ問題の現実と対策
開業準備を進める中で、多くの先生方が最初に直面し、そして最も驚かれるのが「医薬品が仕入れられない」という問題です。痛み止めのような基本的な薬剤すら入手できず、「医師である自分がおかしいのだろうか？」と困惑されるケースが後を絶ちません。
なぜ医薬品が仕入れられないのか？
この問題の背景には、約10年前から続く業界の構造変化があります。
- 行政指導の影響: 過去に自費・美容クリニックでトラブルが多発したことを受け、行政から大手医薬品おろしディーラーに対し、「自費100%の美容クリニックとの取引は慎重に行うように」という指導が入った経緯があります。
- 社会問題化の影響: 近年、GLP-1受容体作動薬などの痩せ薬が、本来必要とする糖尿病患者に届きにくくなる事態が社会問題化しました。このような状況も、ディーラーの姿勢をより慎重にさせています。
結果として、新規開業の、特に自費100%のクリニックは、大手ディーラーから取引を敬遠されやすいという厳しい現実に直面するのです。
【対策】物件探しより「仕入れルートの確保」を優先する
この問題を回避するためには、準備の順番が極めて重要です。多くの方はまずテナント探しから始めますが、その前に以下の行動を取りましょう。
- 開業構想段階でのディーラーへの打診: クリニックのコンセプトや診療方針を固めたら、すぐに医薬品おろしディーラーに連絡を取り、取引が可能かどうかを確認・相談する。
- 人脈の活用: 出身大学や医局の先輩など、すでに開業されている先生に相談し、取引のあるディーラーを紹介してもらう。
「物件を決める前に、薬を仕入れられるか」。この視点を持つだけで、開業初期の致命的なつまずきを回避できます。
2.【落とし穴2：資金調達】
良かれと思った投資用マンションが融資の足かせに？
開業資金の要となる銀行融資。しかし、先生方のプライベートな資産形成が、思わぬ形で融資審査に影響を与えることがあります。特に注意が必要なのが「投資用マンション」の存在です。
銀行審査の盲点
銀行は融資審査の際、個人の資産状況も精査します。その際、投資用マンションのローン残高は、個人の負債と見なされます。
例えば、医師の開業融資枠の目安が1億円だとします。もし先生が3,000万円のローンが残る投資用マンションを2つ所有していた場合、その合計額6,000万円が負債と判断され、融資可能額が「1億円 - 6,000万円 = 4,000万円」に減額されてしまう可能性があるのです。
将来の開業を視野に入れているのであれば、個人の資産ポートフォリオが事業の融資枠に影響を与えることを念頭に置いた計画が不可欠です。
【対策】余裕を持ったスケジューリングと専門家との連携
融資手続きは、先生方が普段経験するスピード感とは大きく異なります。必要書類の準備から審査、実行までには早くても2週間～1ヶ月はかかります。内装工事の契約などを先に進めてしまうと、融資を待つ間、精神的に非常に追い込まれることになります。
- 早めの相談: 事業計画が固まったら、できるだけ早い段階で融資の相談を開始する。
- 専門家との連携: 開業支援コンサルタントなど、融資手続きに精通した専門家と連携し、書類準備やスケジュール管理を徹底する。
資金調達、内装、機器選定、採用活動は同時並行で進みます。この多忙な時期を乗り切るためにも、信頼できるパートナーとの緻密なスケジューリングが成功の鍵となります。
3. 【落とし穴3：事業計画】
知らないと倒産リスクも。特商法と「預かり金」の罠
美容皮膚科などで一般的な「回数プラン」。これは安定した収益を見込める一方、会計処理を誤ると経営を根幹から揺るがす最大の落とし穴になり得ます。その鍵となるのが「特定商取引法（特商法）」の理解です。
売上計上の致命的な間違い
例えば、患者様と「10回30万円」の契約を結んだとします。この時、契約時に30万円全額をその月の売上として計上するのは誤りです。これは、まだ提供していないサービス（役務）の対価を含んでいるため、会計上・税務上の問題だけでなく、解約時のトラブルや資金繰りの悪化を招きます。
正しい会計処理：「預かり金（前受金）」の概念
特商法では、未消化分の施術料金は「売上」ではなく、クリニックが患者様から一時的にサービス提供を約束してお金を「預かっている」状態と考えます。
| 項目 | 誤った会計処理 （全額売上計上） |
正しい会計処理 （預かり金管理） |
|---|---|---|
| 契約時 | 売上：30万円 | 預かり金：30万円 売上：0円 |
| 1回目 施術後 |
（変動なし） | 預かり金：27万円 売上：3万円 |
| 2回目 施術後 |
（変動なし） | 預かり金：24万円 売上：3万円 |
| …10回目 施術後 |
（変動なし） | 預かり金：0円 売上：累計30万円 |
この「預かり金」の残高を「役務（えきむ）」と呼びます。この役務管理を怠ると、数年後に「帳簿上の利益はあるのに、手元に現金がない」「解約返金額が払えない」といった事態に陥ります。実際に、売却を考えた際に数千万円以上の役務が発覚し、途方に暮れた医師の事例も存在するのです。
【対策】開業当初からの役務管理の徹底
- 正しい知識の習得: 医師自身が特商法と預かり金の概念を正しく理解する。
- システムの導入: カルテや予約システムで、患者様ごとのコース消化状況と預かり金残高を正確に管理できる仕組みを構築する。
- スタッフ教育の徹底:「預かり金は未来の負債である」という認識をスタッフ全員で共有し、誤ってインセンティブの対象にしないよう注意する。
この管理は、クリニックの健全なキャッシュフローを守る生命線です。
4.【落とし穴4：人材採用】
「オープニングスタッフは定着しない」という不都合な真実
クリニックの成功は、スタッフの質とチームワークにかかっています。しかし、新規開業時においては、「オープニングスタッフの半数近くが、半年以内に辞めてしまう」という、受け入れがたい現実があります。
なぜオープニングスタッフは定着しにくいのか？
新規開業のクリニックは、理念や文化がまだ形成されておらず、業務フローも確立されていません。この不安定な環境は、働く側にとって想像以上のストレスとなります。面接で「ここでずっと働きたいです！」と熱意を語ってくれたスタッフが次々と辞めていく現実は、経営者である先生の心を深く傷つけます。
【対策】過度な期待をせず「そういうものだ」と覚悟を持つ
もちろん、素晴らしいチームが初期から形成されることもありますが、高い確率で人の入れ替わりは起こるものだと、あらかじめ覚悟しておくことが重要です。
- 精神的な備え: スタッフが辞めても、「自分の経営手腕が悪いからだ」と過度に落ち込まない。これは新規開業特有の「あるある」だと捉える。
- 採用の継続: 開業後も、常に採用活動を継続する意識を持つ。
- 丁寧な面接: わずか30分の面接で、年間数百万円の人件費が決まります。時間をかけ、応募者の本質を見極める努力を怠らない。
この精神的な備えがあるだけで、開業後1年間の最も苦しい時期を乗り越える心の支えとなります。
5. まとめ
今回は、美容クリニックの新規開業における4つの重大な落とし穴について解説しました。
- 医薬品の仕入れ: 物件探しより先に、仕入れルートを確保する。
- 資金調達: 個人の資産状況が融資に与える影響を理解し、専門家と連携して余裕を持ったスケジュールを組む。
- 事業計画: 特商法を理解し、「預かり金（駅務）」の管理を徹底する仕組みを構築する。
- 人材採用: オープニングスタッフの離職は起こりうることと覚悟し、精神的な備えを持つ。
これらは、開業してから気づいたのでは手遅れになりかねない、極めて重要なポイントです。成功するクリニックの経営者は、キラキラした側面だけでなく、こうした泥臭い現実にも真摯に向き合い、事前に対策を講じています。
本記事で得た知識を元に、ぜひ盤石な準備を進め、先生が思い描く理想のクリニックを実現してください。
